子供が1年間不登校だったとき学んだこと<小学校>
お子さんの不登校で悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
わたしのこどもは中学年のとき学校に行けずに1年間お休みしていました。
そのときのとても辛かったので、どれだけ自分がしんどかったかということを長々話しそうです。
しかし、なるべく端的にご紹介しようと思います。
こどもが不登校のとき、やらなければよかったことを知りたい。
こどもが不登校で、学んだことを知りたい。
こどもが不登校になって、これからはこのように接しようと思ったことを知りたい。
すべてのお子さんに、わたしの接し方が合うかはわかりません。
そのお子さんによるからです。
しかし、少しでもわたしの体験が参考になっていただけたら嬉しいです。
きっかけ
きっかけとしては、理由はいくつかあります。
- 先生が合わない
- 先生からのプレッシャー
- 本人の受け取り方
- 親の対応
これらのことが複合的に絡み合い、こどもの心理的負担が増幅したように思います。
先生が合わない
先生が合わないというのは、どうしようもないです。
どこかのお母さんが「〇〇先生すっごくいい先生だよ!」と言っていても、自分のこどもに合うかはわかりません。
先生の評判は本当に当てにならないと思っています。
思ったことは、結局こどもにとって良い先生とは「相性の良い先生」なのだということです。
その点では、当時相性は全く合わいませんでした。
どのように相性があわないのかは割愛しますが、すごく苦手だったようです。
先生からのプレッシャー/本人の受け取り方
先生から「何日までに〇〇しておきなさい」と言われることがすごくプレッシャーだったようです。
普通に言われるだけなら大丈夫なのですが、厳しい先生だと恐怖心からすごく焦ります。
その日までにできないと怒られる。
それがさらに自分を追い詰め「やらなきゃ、やらなきゃ」という気持ちになる。
しかしそれも、当人の受け取り方次第でだいぶ違います。
同じクラスのお母さんにその件を聞いてみても、お子さんは全く意に介することもないようです。
わたしのこどもは、そこのところは強迫観念が強いというか、心配性というか。
わたし自身も、似たようなところはあるかな。
しかし、心配性でプラスの面だってありますよね。
大人だったら、「心配しすぎかな」とメタ視点を持って客観的に自分を見つめることができます。
でもこどもはそのような感情をうまくコントロールできない。
そもそも自分がそういった状態かということも意識できていないことが多いでしょう。
親の対応
親の対応としては、ほんとうに反省点ばかりです。
こどもが不登校前に、学校の愚痴ばかり言っていました。
そのときのわたしの対応です。
- 正論で返す
- 無理に行かせる
- 明日どうしようと言っても、軽く聞き流す
親としては解決してあげたいから、正論で返しちゃうんですよ。
- 「〇〇すればいいじゃない」
- 「だから、〇〇先生に言ってごらん」
- 「ただ淡々とやればいいじゃない、やるしかないんだから」
ある程度大きかったら、上記のような言葉を行動に移すことができるかもしれません。
しかしまだ当時中学年だったので、厳しい先生に交渉したり伝えたりすることが怖くて難しいところもありました。
学校に行くのが苦痛だから、明日どうしようと相談してくる。
だけど、こどものそうしたマイナスの感情に向き合うことができなかったんです。
その時にわたしがこうすればよかった、と思うことは
- 「そうなんだね、そう思うんだね」と聞いてあげる
- 疲れたら全然休んでもいいんだよ
- ちょっとぐらい休んだって平気だよ
このようなことです。
もちろん子供の性格によって対応が全く違ってくるでしょう。
わたしのこどもへの対応として受け止めてください。
知人はこどものランドセルを玄関から投げて「行ってこい!」と言います。
それでもその子は不登校にはなりませんから。
いつでも休める安心感
わたしのこどもの性格上、「いつでも休めるんだ」という安心感が大切でした。
すごく真面目だからです。
だからこちらから、「いつでもガス抜きしていいんだよ」ということを気づかせてあげなければいけない。
ただでさえ「行かないといけない」と感じているんです。
それを親が更にプレッシャーをかけることをしては、辛い時の逃げ場がなくなってしまいます。
不登校になってから、わたしの対応は変わりました。
- しんどかったらいつでも休んでいいんだよ
- 少しぐらい休んでも勉強は取り戻せる
- 学び方は学校以外にもたくさんある
このようなことを言葉にも出しています。
肩の力が抜けた姿勢でいると、こどもにそれが伝わり安心感になっているようです。
逆に多少しんどくても行く、いつでも休めるから。
そのような心の支えにもなっています。
感情を受け入れてあげる
当たり前のことでもあるのですが、人は「そうだよね〜」と感情を受け入れてもらえると安心します。
こどもなら尚更です。
一緒にいて安心する人って受け止めることが上手です。
わたしは当時正論で返してばかりいたので、感情をそのまま受け入れてあげることをしていませんでした。
他人の感情は受け入れられるのに、なぜか家族だと正論で返してしまう。
こどもが不登校になって、わたし自身について気づいたことがあります。
よくよく考えてみると、わたし自身も親に否定されることが多かったこと。
どうせ否定されるので、ほとんど学校のことを相談したこともない。
いつも「平気な自分」を演じていましたし、自分を大きく見せていた。
それは「あるがまま」「そのままでいいんだよ」と受け入れてもらえる経験が少なかったから。
あるがままの自分じゃだめなんだから、自分を演じるしかないです。
こどもに同じような寂しい思いはさせたくない。
そういった自分に気づくことができて、自身もすごく変わりました。
楽になったんです。
不登校になって以降は、とにかく否定しないで「まずは聴く」ということを徹底するようになりました。
通信教育で学ぶ
数ヶ月休んで秋頃、最近の通信教育はタブレット式で楽しく学べることを知りました。
不登になって以来、勉強は全く頭に入らずできなくなっていたんです。
2つほど通信教育のパンフレットをさりげなく渡しておきました。
そのひとつ、ベネッセ小学講座がイラスト豊富で楽しそうだった。
こどもは2週間ほど考えて自ら「やりたい」と言ってきました。
送られてきたイラストいっぱいの段ボール箱に、こどもは久しぶりにワクワクしています。
わたしもすごーく嬉しかった。
ベネッセ初学講座はわたしのこどもにはぴったりでした。
あれだけ勉強が手につかない状態だったこどもを、再び勉強に向かわせてくれた。
あの手この手で、楽しく取り組めるように考えているんです。
それ以来勉強が再びできるようになったんです。
それは今も続いています。
わたしはベネッセには感謝しかないです。
再び登校できるようになったきっかけ
約11ヶ月後くらいに、再び登校できるようになりました。
理由は先生が変わったから。
クラスも変わった。
とにかく、先生が変わったというのがいちばん大きかったです。
以前の先生とは話もしたくなかったのですが、新しい先生とは休むと電話で話をします。
そして週の半分はお休みするということが続いていましたが、夏休み以降はほぼ登校できるようになりました。
もともとは行きたかったんです。
でも、環境がしんどくていけなかったんですね。
まとめ
実は登校できるまでもっといろんな辛いことが起こっていますが、本筋ではないので省かせていただきました。
自分がどれだけ辛かったかを紹介しても、仕方ないですもんね。
わたしはこどもの不登校を通じて、親として・人間としての未熟さを深く気づくことができました。
そして多くのことを学びました。
結局、最終的にこどもを不登校にしたのはわたしだったと思います。
無理やり行かせたり、話を受け入れなかったり。
もっと柔軟に対応してこどものSOSも受け入れてあげれていれば、休みながらでも登校できたのではないでしょうか。
辛くても、いつか光が見えるときがきます。
親がゆったり構えて、なんとかなるさ、上等上等という姿勢でいたいです。
「上等、上等」は広島に住む102歳の石井哲代さんの言葉からです。
心が疲れたら読んでみてください。
心があったかくなるところが、きっとありますよ。